2008年7月 2日 (水)

すべては、この日から始まった。。。

「東京ディズニーランドホテル」グランドオープンまで、「ザ・レオナルドチャレンジ」スタートまで、6日!!

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たまたま、動画サイト「Youtube」で見つけた2001年9月4日のグランドオープニングセレモニー。オープン宣言する加賀見社長の言葉を聞いていたら、泣けてきました(T_T)

たぶん、東京ディズニーシーの誕生秘話を知らない人は、どうってことない映像なのですが、「海を越える想像力」を読んだりして誕生秘話を知っている人には、グッとこみ上げてくるものがあるはずです。正直、最後の青空の映像見たら、こらえ切れませんでした(--”)空も、東京ディズニーシーを祝福してくれているかのようです。この日が、雨予報だったなんてウソみたいです。

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すべては、この日から始まったんですよね。。。。今年、2008年9月4日で、東京ディズニーシーは、7周年を迎えます。

 

・・・・

 

・・・・ちなみに、ドナルドが顔違ってて、違う意味で泣きそうになりました(TOT)今のドナルドがいいです(笑)

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2007年11月28日 (水)

東京ディズニーシーのシンボルは?-2

「夢よ、ひらけ。」を合言葉に、東京ディズニーリゾート25周年アニバーサリーまで、あと139日!!

さて、昨日の続きとなります(^^)

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東京ディズニーシーのシンボルは、この地球「アクアスフィア」です。

 

これ以降、多少現実的な内容を伴いますが、夢の壊れるようなことは書いてありませんので、ご安心ください(--)

 

 

 

 

もともと東京ディズニーシーのシンボルは、当初ディズニー社の提案で、ライトハウス(灯台)がシンボルにふさわしいという案がありました。ちなみに、「プロメテウス火山」ふもとの要塞がある場所に造る予定でした。アメリカ人にとって灯台は、冒険の守り神であり、祖国に戻ってきたときのシンボルだからです。「冒険とイマジネーションの海」東京ディズニーシーにふさわしいシンボルだと思ったのでしょう。

しかし、オリエンタルランドは反対しました。日本人にとって、灯台は、温かな祖国を離れていく寂しさを感じさせるイメージがあり、子供やファミリーを引き寄せるシンボルが、少しでも寂しさを与えるものではあってはならないと考えました。

特に、この「シンボル」に関して、元オリエンタルランド社長・高橋政知は非常なこだわりを持っていました。ちなみに、この高橋さんは、カテゴリー「こうして「東京ディズニーシー」は誕生した」を読んでいただければ詳しく分かりますが、東京ディズニーランドおよび東京ディズニーシーの生みの親です。この方がいなければ、今の東京ディズニーリゾートは存在していません。

高橋さんは、東京ディズニーシーの「シンボル」は、東京ディズニーランドのシンボル「シンデレラ城」に見劣りしない21世紀を感じさせるメッセージ性のあるものを創(つく)ろうと考えていました。

以前、フロリダにあるディズニーの「エプコット」にある直径50mほどの巨大なゴルフボールを見たことに強い印象を受けて、これぐらいのシンボルが欲しいと主張しました。

 

 

 

21世紀の幕開けにオープンするパークを象徴するもの・・・・・

 

 

ダイナミックかつ温かいイメージのシンボル・・・・・・

 

当時、向井千秋さんが日本女性初の宇宙飛行士として注目されていました。高橋さんは、彼女が送ってきた地球に関するレポートをなにかの記事で読み、そのイメージをシンボルに活かせないか?と考えていました。

 

 

 

「夜は光が宝石箱のように輝いている。雷もダイナミックで美しい。暗黒の宇宙に美しく青い地球が浮かぶ姿は清清(すがすが)しさを感じさせ、壮大な気持ちになる。」
(向井千秋さんのレポートより抜粋)

 

このレポートから、生命体としての「地球」と、その前に立って自分の内なる愛に気づかされたような感動が感じられる、新しく、そしてかけがえのない存在「地球」。映画「十戒」で海がふたつに割れるシーンのように水が吹き上がり、地球を持ち上げているようなイメージを高橋さんは、「シンボル」にふさわしいのではないかと提案しました。

ディズニー社との議論の末、東京ディズニーシーの「シンボル」は、高橋さんの案となる水の惑星地球を表現した「アクアスフィア」となったのです。しかし、当初高橋さんが言っていた直径50mの大きさはさすがに無理があったため、直径8m高さ10mで収まりました。

つまり、この「アクアスフィア」には、自然との調和と生命の賛歌というメッセージが込められているのです。

(「海を超える想像力」「東京ディズニーシー物語」より、一部抜粋および参照)

 

ん~・・・・なんとなく、分かっていただけましたか(^^”)?これ以降は、僕の考えです。簡単に言えば、こういうことだと思うんです。

この「アクアスフィア」には、必ずゲストは2度通ることとなります。入園のときと退園するとき。入園するときは、ほとんどのゲストは「あ、でっかい地球がある(・・)」程度の薄い感動で、そんなことより、「アクアスフィア」周辺に登場してきたディズニーキャラクターのグリーティングに夢中になったり、ニューアトラクション「タワー・オブ・テラー」に乗りたい気持ちで、見向きもせずホテル・ミラコスタの真下のミラコスタ通りをくぐって、「冒険とイマジネーションの海」へ向ったりですよね(^^”)

そして、一日、東京ディズニーシーで楽しいひと時を過ごした後、ふたたびミラコスタ通りをくぐって、現実の日常へ戻っていきます。ちょっと分かれ惜しい気分なんですよね(^^”)ちょっと寂しいような気分・・・

ふと、目の前に温かく出迎えてくれるのが、水の惑星「アクアスフィア」です。

 

 

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暗黒の宇宙の中に、ポツンと光り輝く青い惑星「地球」。まさに、この場所は、それを表現しています。街灯も、星型になっているのは、そのためです。

東京ディズニーシーのすごいところは、地球のさまざまな場所を旅できるところです。ヨーロッパの美しい街並みや、アメリカの古きよき町並み、アラブのアラビアンナイトの世界、地球の鼓動を感じさせる火山帯やジャングルなど・・・・1日過ごしたあと、この「アクアスフィア」は入園のときに見た印象とは、まったく違った印象を受けるはずです。

 

 

 

 

「地球って、綺麗だなぁ~」

 

 

 

そう、思っていただければ十分です(^^)それこそが、高橋さんの伝えたいメッセージ性だと思います。1日世界のさまざまな場所(7つのテーマポート)を旅した体験が、「これからも、この美しい惑星「地球」を大事にしていこう!」「この美しい水の惑星「地球」に生まれてきてよかった!」と、より強く思わせてくれるのではないでしょうか?

最後に、この「アクアスフィア」を考えた高橋さんは東京ディズニーシーの完成を見ずしてこの世を去られました。なので、東京ディズニーリゾート25周年アニバーサリーを迎える前に、シンボルは「アクアスフィア」だってことを覚えておいてください(^^”)そうじゃないと、この世を去った高橋さんに申し訳ないです・・・なので、気合入れて記事書いてしまいました(笑)

長いお話となってしまいましたね(^^”)ここまで読んでいただきありがとうございました(--)

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2007年11月27日 (火)

東京ディズニーシーのシンボルは?

「夢よ、ひらけ。」を合言葉に、東京ディズニーリゾート25周年アニバーサリーまで、あと140日!

ランバルディさんのサイト「ごちそうさまの後で・・・」の記事「「くぐる」ということ」を読んだのですが、とても納得させられた、すばらしい記事ですので、みなさん一読してみてください(^^)ディズニーでは、よく建物などに「遠近法」を用いているのは有名ですが、この「くぐる」ってのも、また新たな視点で、とても興味深く読んでしまいました(^^”)たとえば、神社の鳥居を「くぐる」と、違う空間に入ったような感覚のことです。この「くぐる」という動作で、ディズニーの魔法の世界と現実世界との境界線を作っているのだなぁと思いました。

そんで、記事の中で、東京ディズニーシーのシンボルについても触れていました。僕のサイトでも、何度か「シーのシンボル」についての記事書いたんですが(^^”)やっぱ、勘違いしている方いらっしゃると思うんで、何度でも書きます。

 

東京ディズニーシーのシンボルは、「プロメテウス火山」ではありません(^^”)

 

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僕も、つい1年前までは、パーク中央にそびえる「プロメテウス火山」がシンボルだと思い込んでました(^^”)そりゃ、東京ディズニーランドのシンボルが「シンデレラ城」ですから、パークの中央にあり、そして一番目に付くでっかいものがシンボルだと思っちゃいますよね(^^”)

それでは、「プロメテウス火山」は、シンボルではなく何の役割を果たしているのか?というと、「ランドマークタワー」という役割を果たしています(^^)簡単に言えば、パークの中のどのあたりに自分がいるのか?という現在位置を確認するための「目印」みたいな存在です。

こんな経験ありませんか?シーのパーク内は、結構迷いやすいんで、「今、どこにいるんだろ?」とあたりを見回したとき、「プロメテウス火山」が目に入りませんでしたか?迷ったときの目印となるのです。世界のディズニーパークには、このような「ランドマークタワー」が必ず存在しています。これは、ディズニーの生みの親「ウォルト・ディズニー」による考えからきているんですよ(^^)最近では、リゾート1の高さを誇る「タワー・オブ・テラー」も「ランドマークタワー」になりつつありますね(^^”)

つまり、東京ディズニーランドの「シンデレラ城」は「ランドマークタワー」であり「シンボル」という2つの意味合いを持っているのですが、東京ディズニーシーの「プロメテウス火山」は単に「ランドマークタワー」という面しか持っていないのです。しかし、ランバルディさんのサイトの「「くぐる」ということ」の記事を読んで、「シンボル」だと勘違いしやすい心理が働くんだなぁと改めて思いました。あとは、「パーク中央にそびえる大きい建物がシンボル」という固定概念が強すぎるんでしょうね(^^”)

さて、ちょっと横道それてしまいましたね(^^”)では、東京ディズニーシーのシンボルは何なのか?というと・・・・

 

 

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エントランスにある地球「アクアスフィア」が、東京ディズニーシーのシンボルです。

・・・・ちょっと、話が長くなるので、今日はここまで。続きは、明日28日に公開しますんで、もしお時間ありましたら、ぜひお読みください(--)明日は、このシンボル「アクアスフィア」の誕生秘話および、この「アクアスフィア」に込められたメッセージ性についてお話します。

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2007年2月19日 (月)

お詫びと訂正-2

とんでもない重大な勘違いをしておりました(--”)東京ディズニーシーのシンボルは、てっきりパーク中央にそびえるプロメテウス火山だと思っていました。

しかし、「プロメテウス火山」ではなく「アクアスフィア」がシーのシンボルでした!!

すみませんでした(--”)てっきり、シンデレラ城と同じ高さでパーク中央にそびえているので、そう思い込んでしまっていました。東京ディズニーリゾート・インフォメーションセンターに確認の電話をしてみたので間違いないです。

やはり、故・高橋さんの考えたシンボルをそのままシーのシンボルにしたのですね!その事実が分かって、むしろ嬉しかったりします(^^)

いままでの間違った記事を書き直します。今後、このような間違いがないよう今いっそう情報を届ける側として気をつけたいと思います(--”)

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2006年12月31日 (日)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-13

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     私たちは 水の惑星 地球と
  海から誕生したすべての生命をたたえて
    東京ディズニーシーをつくりました。

    目前に広がる大海原を越えて
       たどりつく世界には
勇気と発見、想像とロマンスにあふれた冒険が
      あなたを待っています。
   さあ 夢と感動と喜びの帆を揚げて
        出航しましょう!

         2001年9月4日

     株式会社 オリエンタルランド
     代表取締役社長 加賀見 俊夫

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2006年9月 8日 (金)

2006.9.4空からの祝福-3

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「レジェンド・オブ・ミシカ」が終わると、また空一面雲に覆われてしまいました。けど、僕としては、スケッチするには最高だと思い、ちょっと嬉しかったです(^^)

さっそく、ケープコッドでスケッチをしました。そして、夕方17時ごろのこと。突然、太陽が顔を出し始めました。

 

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すると、シー全体がオレンジ色に染まりはじめたのです。僕は、慌てて、写真を撮りにケープコッドへ向かいました。

 

 

 

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雲の隙間から、顔を出した夕焼けの太陽。ものすごい太陽の光で、ケープコッドの海辺がキラキラ反射していました(^^)なんだか神秘的な写真です。

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これも、とても神秘的な写真。なんで携帯カメラで撮れたのか不思議です(笑)この写真なんだか表現しにくいですが、例えて言うなら・・シーの時が止まり、空が天界とつながってしまったかのような写真でしょうか?もしかすると、あの世から降りてきた高橋さん達が、1日シーを楽しんで再びあの世へ帰っていったのかもしれませんね(^^*)

「こいつ頭大丈夫?」的な、文章書いてしまいましたが(笑)僕はそう思いたいんです。もし、そうだったら嬉しいじゃないですか・・・・

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さらに、別の場所から撮りました。もう言葉をなくしてしまうほどの絶景が広がっていました。夕日で海辺がオレンジ色に輝いています。きっと天国の高橋さん達の恩返しだと、僕は勝手に思っております(^^)誰が何と否定しても、僕はそう思いますから(笑)

ただただ、見入ってしまいました・・・・・

 

 

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そして、メディテレーニアンハーバー。「東京ディズニーシー」の最大の魅力は、何といっても、このすばらしい景色です・・・

この日は、やはりディズニーマジックが起こっていたのだと、写真がすべてを証明してくれました(^^*)

本当に、すばらしい1日でした(T_T)

 

 

「どうせ、写真とか加工して記事書いてんだろ?」って疑われる方、いらっしゃるかもしれません。しかし、ここまで書いた記事は、9月4日に起こったことを、そのまま事実を書きました。写真もすべて9月4日のです。もし、疑わしいのでしたら、9月4日にシーへ行った方へ聞いてみてください。あの日にシーにいたすべての人が証人です。

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2006年9月 7日 (木)

2006.9.4空からの祝福-2

2006年9月4日。シー5周年の今日は、朝から青空の快晴でした。しかし、次第にお昼にかけて雲が広がりだしたのです。太陽は、雲で隠れてしまいました(--”)

僕は、14:30からのデイタイムハーバーショー「レジェンド・オブ・ミシカ」を見に行きました。

嬉しいことに、雲に隠れていた太陽が、ショー開始あたりから顔を出し始めました。すると、暑い日ざし。僕の近くにいた女性が、「あぁ、また太陽が出てきちゃった(--”)暑い!!」と言ってました(^^”)まぁ、確かに暑かったですけど、太陽が出てくれてよかったと思い、ショーがスタート!!

このとき僕の頭の中では、ずっと高橋さんのことを思っていました。とにかく、「高橋さんの誕生日でもある大事な日なのだから絶対に完全版でやってほしい!!」という願いでいっぱいでした。

さらに、東京ディズニーリゾートの半世紀にも渡る誕生物語を振り返ったり、「高橋さんは、人生すべてを懸けて東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを創ってくれた・・・・・なんてすばらしいものを残してくれたんだろう・・・」と思ったり、ゲストたちのショーに見入る姿を見ていたら、変に感極まってしまい、涙目になりながらショーを見ていました(笑)

はたから見たら、単なる変人ですね(--”)あぁ、情けない・・・

ショーの冒頭で異変が!?パイロ(花火)が上がらないのです。どうやら、風が強いため、パイロ無しバージョンのようでした。そわそわしながら見ていました。

5連カイトは、なんとかやってくれました。ものすごい風を引き裂くような音がしました。カイトの糸がちぎれそうでした。

そして、ショー中半になると、なんとパイロが上がったのです!「おぉ!」と歓声が上がりました。僕も、また感極まって、さらに涙目(笑)

けど、結局パイロはこのときだけで、最後はやりませんでした。やはり、風が強かったのでしょう!しょうがない。出演者さん、よく頑張ったと思いました!!

きっと、天国にいる高橋さん達も、満足して見てくれたでしょう(^^*)と、思いながら、その場を後にしました・・・・・

 

 

 

ここから、「レジェンド・オブ・ミシカ」のネタばれ写真が載っています。それでもよろしければ、ご覧ください(--)

そして、あとあと帰宅して、ミシカのときに撮った写真を見て、驚きました・・・・

 

 

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この写真で、わかるかと思いますが、空一面曇っていたんです。ですが、ハーバー上空だけ、雲が薄く明るくなり太陽が顔を出していたんです。

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さらに、この写真には驚きました。よく見たら、ハーバーだけにしか太陽の日差しが当たっていないんです。噴水が輝いています!!なのに、プロメテウス火山は日差し当たってないの分かりますよね?不思議な写真です。そして、左の写真は、なぜか太陽の強い日差しまで撮れています。なんだか、ハーバー全体にスポットライトが当たっているかのような写真です。

シーのグランドオープンのときのような出来事ですよね(^^)しかし、僕はこの写真を見て初めて、ミシカで起こっていた不思議な出来事に気づいたのでした(笑)

 

・・・・まぁ、冷静に考えれば、たまたまなのかもしれませんが(^^”)やはり、意味深い日でもあるので、ついついディズニーマジックだったのかと考えたくなってしまうのです・・・僕は、今でも後者だと思っております(--)

 

 

ショーが終わると、また太陽が雲で覆われ、どんよりとした天気になりました。そして、夕方ごろになると今日一番の美しい絶景に遭遇したのでした・・・・

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2006年9月 6日 (水)

2006.9.4空からの祝福-1

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無事に5周年を迎えた、2006年9月4日の東京ディズニーシー。この日は、朝から真っ青な青空が広がっていました!!

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なんだか、この青空を見ていて、5年前の「東京ディズニーシー・グランドオープン」のときの写真を思い出しました。あのときは、曇り空だったんですよね(^^”)けど、オープニングセレモニーが始まったら、突如、雲の隙間から太陽の光が差し込んで、ハーバーを照らしたそうな・・・・

しかし、5周年の今日は、こんなに快晴!!本当にうれしくなりました(^^)青空って、まさにシーにピッタリ似合いますよね!

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この写真に写る物体は??未確認飛行物体です(笑)おそらくトンボですかね(^^”)

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空も、5周年のシーをお祝いしているように思えました(^^)

 

 

しかし、今日の天気(千葉県)は、晴れのち曇り。夕方ごろには、ところにより一時雨。この晴天が続いてほしかったのですが、残念ながら、このあと少しずつシーの空は曇りだしてきます・・・・

そして、デイタイムハーバーショー「レジェンド・オブ・ミシカ」のときのこと。不思議な写真が撮れていたのです。それは明日に・・・・

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2006年9月 3日 (日)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-12

「タワー・オブ・テラー」
ツアー開始まで、あと
1日!!

カテゴリー「こうして「東京ディズニーシー」は誕生した」をすべてお読みの方のみ、ご覧ください(--) 

 

 

 

 

 

 

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とうとう、「東京ディズニーシー」5周年前日を迎えました。なんだか感慨深いです(--)

しかし、オリエンタルランド(OLC)の社員の方々、ディズニー社の方々も同様でしょうね・・・・

どんな思いなのでしょうか?今までのシーの過去を振り返っていたりするのでしょうか?

過去を振り返ると、第2テーマパーク構想は1987年から始まっていました。そこから、約14年もの歳月を掛けて、ようやく完成したのが「東京ディズニーシー」です。

この間、裏では計り知れない苦労と努力がありました。そこで、いつも間違った方向を正し導いてくれたのがOLC社長「高橋政知」でした。また、OLCとディズニー社の話し合いで決別になりそうなことが何度もありました。そのとき、いつも架け橋となってくれたのがディズニー社・社長「フランク・ウェルズ社長」でした。

しかし、この「東京ディズニーシー」を創り上げた影の功労者である偉大なる2人は、完成した「東京ディズニーシー」を見ることなくこの世を去りました。

「フランク・ウェルズ社長」はヘリコプター事故による不慮の死でした。「高橋政知」は寿命でした。

2001年9月4日「東京ディズニーシー」グランドオープン。奇しくも9月4日は、「高橋政知」の誕生日でもありました。

 

 

 

 

・・・・そして、明日5周年を迎えます。シー全体は5周年のショーやデコレーションに彩られ、NEWアトラクション「タワー・オブ・テラー」もOPENします。誕生祭の準備は整いました(^^)

ただ、この「タワー・オブ・テラー」って、何でスポンサーついていないんでしょうか?海外で高く評価されているわけですし、OLCだけで総工費約210億円はあまりに大きすぎます。

もしかすると天国にいる「高橋政知」にささげる約210億円の豪華な誕生日プレゼントなのでしょうか?

また、ディズニーのイマジニア達も天国にいる「フランク・ウェルズ社長」に喜んでもらえるよう、最高に豪華で美しいアトラクションを創ってくれたのではないでしょうか?

そんな思いも、この「タワー・オブ・テラー」に込められていたら嬉しいですね(^^)

明日はすばらしい1日になることでしょう!!この世を去った偉大なる方々も、きっとシーに遊びに来てくれるのではないでしょうか(^^)

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2006年7月24日 (月)

タワーオブテラーと虹

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと42!!

僕のお気に入りサイトにて、すばらしい写真が紹介されていました。それは、7月14日の「5周年アニバーサリー」初日のこと。シー園内が祝祭ムード全快だったこの日の夕方、空からも嬉しい祝福があったのです。

そうが出たのです。写真はタワーオブテラーの空に虹が架かっている綺麗な写真です。とても、神秘的なことですし、こんな偶然があるのかと、不思議な気持ちになりました(^^)

ここをクリックして、ご覧になってください!

そういえば、シーグランドオープンの時も虹が出たって話は本当なのでしょうか??もし本当なら、それも不思議な出来事ですね(^^)

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2006年7月21日 (金)

お詫びと訂正

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと45!!

お詫びと訂正です。

「こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-9」をお読みになった方のみご覧ください。

 

 

 

1つだけ、自分の勝手な想像で書いてしまったところがあるのです。それは、シーの当初のプランのさまざまな変更内容のひとつ。「シンボル予定だった「灯台」の代わりに「要塞」が造られ・・・・」のあとは、自分の勝手な想像で「その「灯台」は縮小され「ケープコッド」に造られた」という記事を書いてしまいました。本当にすみませんでした(--)

著書では、この「灯台」のなごりがケープコッドの灯台であるかどうかは記されていません。ただ、高橋さんのシンボル候補だった50mの地球が8mに縮小され「アクアスフィア」として残っていること。ディズニー社が、シンボルとして挙げたので、何かしら縮小して残したのではないか?ケープコッドの灯台が、ディズニー社の灯台のイメージ「温もり」を感じさせる灯台なので、そうなのではないだろうか・・・・という思い込みが、いつしか断定的な表現で記事にしてしまいました。

実際そうかもしれないし、違うかもしれません。そうなのかもしれない・・・・で留めておいて下さい。一番神経を使わなくてはいけないテーマで、このような内容を載せてしまい申し訳ありませんでした。

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2006年6月27日 (火)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-11

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと69日!!

「アンコール!」あと7日で終了(ToT)

今日で、このテーマ「こうして「東京ディズニーシー」は誕生した」は最終回です。最初から読んでいただいた方、本当にありがとうございました(‐‐)では、ラストをどうぞ。

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

2001年9月4日「東京ディズニーシー」のオープニングセレモニーを終え、加賀見社長は一人、車である場所へ向かいました。

 

そこは、多磨霊園

 

さきほどまでの、にぎわいが嘘のように静寂が広がっていました。まだ、蝉時雨が鳴いていましたが、秋の気配が漂っていました。

もう高橋さんはこの世にいません。奇しくも今日、9月4日は高橋さんの誕生日でもありました。しかし、それで9月4日に合わせたわけではなく、偶然の導きで9月4日になったそうです。加賀見社長は、高橋さんと「東京ディズニーシー」の深い縁を感じていました。

そもそも、「東京ディズニーランド」も、「東京ディズニーシー」も、高橋さんの執念によって成し得たのです。

ふと、加賀見社長の脳裏に高橋さんの懐かしい思い出が蘇ってきました。

それは、「東京ディズニーランド」ができたばかりの、1983年9月4日のこと。当時は閉園が18時でした。そのあとに、高橋夫妻を祝うパーティーを開いたのです。

園内にて、豪華な料理とダンサーによるショー。お祝いスピーチなど。さらに、夫妻だけでアメリカ河を一周してもらいました。夫人の豪邸を漁民のために売り払ったことの罪滅ぼしともなる最高のプレゼントでした。

 

生前、高橋さんはこう言っていました。

 

「ここに新たな何かを創るときは、海を越えるような想像力をもって臨め」

 

その言葉によって、ゲストの想像をはるかに超えた、まったく新しいテーマパーク「東京ディズニーシー」を生み出すことができたのです。

そして・・・・・・

 

私は高橋さんの墓に向かい、用意してきた花を手向けて静かに手を合わせた。

「高橋さん、あなたの長年のご努力が実って、本日東京ディズニーシーは無事グランドオープンを迎えることができました。大勢のゲストが今日を心待ちにし、期待に満ち溢れた表情で来て下さいました。これから正念場を迎えますが、どうぞ私たちの今後を見守っていてください・・・・」

興奮の東京ディズニーシーから車を飛ばしてきた私の心に、多磨霊園の静寂がしみた。

(著書「海を越える想像力-東京ディズニーリゾート誕生物語-」p17-18から抜粋)

最後は、僕が一番感動した文章を抜粋させていただきました。

にしても僕の感想は、悔しい(ToT)ただ悔しいだけです!!あれだけの苦労をしてきたのに、最後に完成した「東京ディズニーシー」を見ずして亡くなってしまうなんて悔しすぎますよ!!そもそも、高橋さんは、たくさんのゲスト、キャスト、ディズニーの仲間たちなど、多くの人々に囲まれて祝福されるべき人なのに・・・・何でこんな誰もいないさびしいところに眠っているのでしょうか?加賀見社長は、こうも言っていました。「車椅子に乗ってでもいいから、なんとか高橋さんにオープン宣言をしてもらいたかった」と。僕もそう思います!高橋さんがいなかったらシーなんて存在していなかったのですから!

それに高橋さんの陰の努力で、生み出された「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」。どれだけの人々を幸福にしてくれたのでしょうか?どれだけの人々に夢やパワーを与えてくれたのでしょうか?なのに、高橋さんの影の功績を知る人は、ほとんどいません。まぁ、知る必要がないのかもしれませんね。裏のことなんて。でも僕としては悔しくてなりませんでした!!せめて、この人は知っていて欲しい!そんな思いも込めて、このテーマを書いた次第です。

もうすぐ始まる、「5周年アニバーサリー」。高橋さんにも見せてあげたかったですね。もう少し長生きしていてほしかった・・

 

実は、まだ話の続きがあるのです。

ここをクリックしてみてください。(7月よりTOPが変わってしまいました)

公式サイト「5周年アニバーサリー」のTOPの表紙を見ていたら、あることに気が付きました。

数えきれないくらいの、ディズニーの仲間たちやキャストたち。みんなが、ある一点に手先を向けて、たたえています。みんなの中心にいる「アクアスフィア」です。もうお気付きの方いらっしゃるかと思いますが、この「アクアスフィア」って、もともと高橋さんが考えたシーのシンボルなんです。

僕の勝手な思い込みかもしれませんが、「アクアスフィア」は、高橋さんそのものなんじゃないでしょうか?高橋さんを中心に、数え切れないくらいの多くの人々が、祝福してくれているように見えるんです。そんな思いが込められた表紙だとしたら、ホント嬉しい限りです!高橋さんの思いが、しっかり後輩にも受け継がれているようで・・

そして、5周年プログラムはイベントてんこ盛り。これも、高橋さんに対する感謝の気持ちだったらいいなぁ・・なんて思ったり。とにかく、みんなで5周年を盛大にお祝いしましょう!!そうすれば、天国にいる高橋さん達がきっと喜んでくれることだと思います(^^)

では、ここまで長々と読んでくれた方々どうもありがとうございました!!

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2006年6月26日 (月)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-10

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと70!!

「アンコール!」あと8日で終了(ToT)

今日は、「東京ディズニーシー」2001年9月4日グランドオープン初日をお話したいと思います。お暇でしたら読んでみてください(‐‐)

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

2001年9月4日。「東京ディズニーシー」はグランドオープンを迎えました。

第2テーマパーク構想が浮上してから、すでに10年以上の年月を費やしてきました。オリエンタルランド(略称:OLC)社長・加賀見社長は、その日、さまざまな思い出が次々と蘇ってきたそうです。

陰ながら頑張ってくれた・・OLC社員、ディズニー社のスタッフ、建設工事会社のスタッフ、OLC初代社長・故・川崎千春、ヘリコプターの不慮の事故で急逝したディズニー社・フランク・ウェルズ社長、そして・・・・・

 

惜しくも2001年1月に86歳で天寿をまっとうされたOLC社長・故・高橋政知・・・・・・

 

たくさんのたくさんの多く人々によって、「東京ディズニーシー」が生まれたんだと・・・・・・

 

この日の舞浜の天気予報はあいにくの曇り。雨は降らないという予報でした。その予報を信じて、グランドオープンセレモニーは「雨バージョン」ではなく「晴れバージョン」で行われました。

加賀見社長と、ディズニー社・アイズナー会長、ミッキー、ミニーは一緒に船に乗り込み、メディテレーニアンハーバー中央にて、オープン宣言を始めたときでした。不思議なことが起きたのです。

どんよりと垂れこめた雲の隙間から、一筋の光がメディテレーニアンハーバーの港に射し込みました。それは、「東京ディズニーシー」にスポットライトがあたったかのような不思議な光景だったそうです。

加賀見社長はその光を浴びながら高橋政知を思っていました。「ここに高橋さんが来ている・・・」と。そして、ディズニー社の人たちも、「ここにウォルト・ディズニーが来ている・・・・」と。

オープニングセレモニーが終わると、この日を待ちわびた多くのゲストたちはアトラクションへと向かい始めました。加賀見社長は、次にホテル・ミラコスタのオープニングセレモニーへと向かいました。オープン宣言をした後、日本だけでなく他国からも多くのマスコミが来ている中、記者会見が開かれました。

ようやく記者会見が終わり、加賀見社長は一人、車に乗り込み「東京ディズニーシー」をあとにしました。どうしても、今日行っておきたいところがあったのです・・・・・

次回、このテーマの最終回です(ToT)

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2006年6月25日 (日)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-9

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと71!!

「アンコール!」あと9日で終了(ToT)

今日は、どんな感じで「東京ディズニーシー」のコンセプトが変更されたのかをメインに、2001年9月4日のグランドオープン前までお話したいと思います。お暇でしたら読んでみてください(‐‐)

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

ようやく、完成した「東京ディズニーシー」の基本的なコンセプト。しかし、さまざまな変更が加えられました。

テーマ性。当初は、10代の男性をターゲットとした「冒険」を前面に出したテーマパークでしたが、幅広い年齢層(とくに中高年)をターゲットとし、ロマンティックかつアドベンチャー性を前面に出したテーマパークへと変更されました。また、ショーにも力を入れ、ランドでは販売していないアルコール類も中高年を意識して販売することにしました。

シーのシンボル。当初は「灯台」でしたが、「灯台」の代わりに要塞が造られました。また、高橋社長がこだわった直径50mの「地球」は、直径8mに縮小され「アクアスフィア」として、入園口前に造られました。

アメリカンウォーターフロントは、当初は暗黒なイメージでしたが、ロマンティックでノスタルジックなエリアに変更されました。

「マーメイドラグーンシアター」は、当初は巨大な水槽の中で行う水中ショーでしたが、ディズニー社が水の中にいるような空間を創り上げました。

そして、「東京ディズニーシー」建設作業へと移っていきました。1998年10月22日に着工。しかし、ここまでいくにも苦労が。最先端の技術が注ぎ込まれたアトラクションたち。このアトラクションの仕様書を見た建設会社は、こう言って断ったそうです。

難しすぎて創れない

そのぐらい、「東京ディズニーシー」には日本の最先端の技術が搭載されています。(著書では、いろいろなアトラクションの最新技術の紹介がされているのですが、ここでは伏せておきますね(^^”))

プレオープン(予行練習みたいなものです)が2001年8月1日から行われました。建設工事に関わった人たちなどが家族を連れて、自分たちが一から創りあげた「東京ディズニーシー」を楽しみました。

随時、ゲストたちの反応を見て、2001年9月4日のグランドオープンまでにも、さまざまな改良が加え続けられました。

そして、「東京ディズニーランド」の投資総額1800億円を大きく上回る投資総額3350億円を注ぎ込んだ、世界にたった一つしかない、世界最高品質のテーマパークであり、ディズニー社とオリエンタルランド(OLC)の共同作品である「東京ディズニーシー(Tokyo Disney SEA)」が、2001年9月4日に無事グランドオープンを迎えました。

ようやく、グランドオープンまで、たどり着きました(ToT)書くの長かったぁ・・・・・次回は、「グランドオープン初日」のお話をしたいと思います。そこで起きた、不思議な出来事も含めて・・・・

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2006年6月24日 (土)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-8

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと72!!

「アンコール!」あと10日で終了(ToT)

もう6月残りわずかとなりました。このテーマも急加速させて書いています(笑)もうすぐ始まろうとしている5周年アニバーサリーに間に合わせなくては!!では、シー誕生物語の続きです。お暇でしたら読んでみてください(‐‐)

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

1994年9月、オリエンタルランド(略称OLC)の中から選抜された5人のコンセプトチームとディズニー社の2週間にわたる意見交換をすべく、最初の1週間はアメリカ・フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにて話し合いがもたれました。コンセプトチームは最初、ディズニー社の面々に緊張してガチガチだったそうな・・・・しかし、日本にいる高橋社長のテレパシー??によって、コンセプトチームの脳裏に高橋社長の顔が浮かび、それ以降からまったく緊張せず話し合いをすることが出来たそうです。

1週間のほとんどはウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートを一つ一つ見て回りました。そこで、どのようなテーマ性を持って、どのような人たちをターゲットに、どのように創られたのかなどなど、事細かな説明を受けました。コンセプトチームは、これらテーマパークやホテルを参考に東京ディズニーシーに必要なものを具体的に模索しました。

残りの1週間は、アメリカ・カリフォルニアに移動して、ウォルト・ディズニー・イマジニアリング(テーマパークおよびリゾートのデザイン部門)との本格的な話し合いに入りました。が、コンセプトチームはフロリダで得た知識があまりに大きすぎたためか、頭がパンク状態で、どのように東京ディズニーシーに活かせばいいかわからない状態でした。そんな姿を見たディズニー社は、粋なはからいをしてくれました。東京ディズニーシーのアトラクションのひとつになるであろう「ゴンドラ体験」をさせてくれたのです。そこで、ディズニー社とコンセプトチームは打ち解け、頭をすっきりさせた状態で話し合いに入れました。

しかし、この2週間の意見交換もよい成果が挙げられませんでした。

2ヵ月後、再び会議を開きました。お互いに譲らない「東京ディズニーシーのテーマ性(コンセプト)」。もう次の段階へ移らなくてはいけない時期に来ていました。 コンセプトチームの意見に耳を傾けはしても、結局ディズニー社主導で話を進めていこうとします。やはり、うまく話し合いが尽かずじまい・・・・・・

最後に、加賀見さん(著者であり1995年6月にはOLC社長となる)はディズニー社に対して、こう強く主張しました・・・・

「モア・ロマンティック!!」

OLCは、ディズニー社の主張する「冒険色の強いテーマパーク」ではなく、「ロマンティックとアドベンチャーが同居したテーマパーク」にしたかったのです。

こうして、幾度となく衝突を繰り返しながらも、次第にディズニー社はOLCの提案を受け入れるようになっていきました。そして、コンセプトチームは1年8ヶ月もの間、13回もの話し合いを重ねて、1996年1月に、ようやく「東京ディズニーシー」の基本的なコンセプトができたのです。

すみません(ToT)話が長くなったので、シーのシンボルについての話は、また次回にまわします。とても長く続いた話し合いがようやく終わりました。この「東京ディズニーシー」はOLCの提案が多く反映されたテーマパークだってことがわかっていただいたでしょうか?つまり、ディズニー社とOLCの共同作品みたいなものなんです。シーは。

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2006年6月19日 (月)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-7

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと77!!

「セイル・アウェイ」本日で終了(ToT)
       ありがとう!!「セイル・アウェイ」

「アンコール!」あと15日で終了(ToT)

最近、シーの年間パスポートを買おうと考えていたのですが、なかなかお金がなくて(^^")どうしようかとかなり悩み中です(ToT)夏合宿もあり、花火大会ありと、夏はイベント目白押しなので。短期バイトも考えたのですが、3つバイト掛け持ちもきついので。ん~・・・・な日々です。では、シー誕生物語の続きです。お暇でしたら読んでみてください(‐‐)

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

前回のロサンゼルスの会議であらわになった「日本人とアメリカ人の異文化による考え方の相違」を埋めるべく、1994年6月にオリエンタルランド(略称:OLC)社内の部署から5名が選抜されコンセプトチームが発足しました。このチームの目的は、ディズニー社に日本人の考え方を植え付けること。また、第2テーマパーク(東京ディズニーシー)に対するOLCの考えを伝え、納得させること。それによって「日本人の喜ぶ世界最高品質の第2テーマパーク(東京ディズニーシー)を創る」ことでした。そのために、加賀見さん(著者であり現OLC社長)と高橋社長は、この5人と綿密なミーティングを重ねました。

ようやく東京ディズニーシーの作業が開始されたのが1994年7月。ディズニー社とコンセプトチームの初会議が開かれました。そこで、ディズニー社の考えを聞いたコンセプトチームの東京ディズニーシーの第一印象は「東京ディズニーランドとは、まったく違うテーマパーク」だったそうです。

この東京ディズニーシーでは「冒険」がより強調され、海底や地底に潜るアトラクションが多数ありました。どことなく寂しく冷たい印象をぬぐえませんでした。また、50羽のペンギン、イグアナなどの爬虫類、鳥、蝶もアトラクションの一部として登場しました。動物園や水族館の要素も盛り込まれていたのです。コンセプトチームは頭を抱えました。

もっとも頭を悩ませたのが、東京ディズニーシーの「シンボル」でした。ランドでいえば「シンデレラ城」のことです。ディズニー社が提案してきたのが「灯台」でした。アメリカ人には、「冒険の守り神」であり、祖国に戻ってきたときのシンボルで温かみを持つイメージでした。しかし、日本人には、夜の海を照らす灯台から、どことなく哀愁を感じさせるイメージでした。ここでも、異文化による考えの違いがでてしまいました。

高橋社長は、このシンボルにとてもこだわりを持っていました。シンデレラ城に見劣りしない21世紀にふさわしいシンボルでなくてはならない・・しかし、「灯台」ではインパクトに欠けている・・・・

高橋社長の求めるシンボルのヒントになったのが、アメリカ・フロリダにある「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」の中にある「エプコット」のシンボルでした。このテーマパーク「エプコット」のシンボルは直径50mほどの巨大なゴルフボールのような形をしていました。高橋社長は、このくらいのインパクトさがほしかったのです。そして、この当時、日本人女性初の宇宙飛行士として注目された向井千秋さんが、宇宙から見た地球に関するレポートに高橋社長は深く感動し、「地球」が21世紀にふさわしいシンボルだと考えたのです。

高橋社長の求めるシンボルは、映画「十戒」で海が割れるシーンのように水が噴き上がり「地球」を持ち上げているイメージでした。そして、その「地球」は直径50mほどの大きさを持つインパクトさを持つものでした。高橋社長は、コンセプトチームにこの「地球」のシンボルをディズニー社に伝えるように言いました。

さまざまな問題が浮き彫りになった会議。その後も、1年8ヶ月もの間、コンセプトチームとディズニー社は幾度となく話し合いを続けました。

当初のシーのシンボルが「灯台」だったっていうのは驚きですよね!!また、直径50mほどの「地球」ってのも。でも、シーのシンボルは最終的に「プロメテウス火山」になったわけです。しかし、これら「灯台」や「地球」は、シンボルにはならなかったものの、ちゃ~んと今でも残っていますね(^^)そう・・・・あれです。次回詳しくお話したいと思います。

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2006年6月17日 (土)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-6

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと79日!!

「セイル・アウェイ」あと2日で終了(ToT)
「アンコール!」あと17日で終了(ToT)

今日から、世界にたったひとつしかないディズニー・テーマーパーク「東京ディズニーシー」の核心部分に入ります。お暇でしたら読んでみてください(‐‐)

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

映画スタジオをベースにした「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパーク(仮称)」を断念後、オリエンタルランド(略称:OLC)社内では大きな問題が起きていました。OLC社長・森社長が急逝したのです。すぐに緊急会議を開き、再び高橋さんが社長となりました。

1992年2月にディズニー社は、再び新たな第2テーマパーク構想を持ち出してきました。それは「七つの海」という構想でした。加賀見さん(著書であり現OLC社長)は大賛成でした。そもそも日本は海に囲まれた島国。日本人には親しみがあり、そして「ランド(陸)対シー(海)」。対になっているところもいい。高橋社長もこの案には前向きでした。

しかし、OLC・高橋社長はディズニー社に「第2テーマパークに関してはディズニー社と対等に仕事をしたい」と主張しました。前回でも書きましたが、ランドではディズニー社主導であったので、この第2テーマパークに関してはOLCの考えも反映させた開発をしたいという気持ちが強かったのです。このことで、ディズニー社と高橋社長はギリギリの交渉を繰り広げました。

1992年初めに、愛妻を亡くし気落ちしていた高橋社長。そんな中ディズニー社・ウェルズ社長は高橋社長に「是非ロサンゼルスに来てほしい」と言いました。ウェルズ社長はディズニー社の考えをより詳しく伝えたいというのと、気落ちした高橋社長に気分転換させてあげたいという思いだったのです。そして、加賀見さん(著書・現OLC社長)は高橋社長と共に渡米しました。

ロサンゼルスで開かれた会議にて、第2パークの詳しい構想が告げられました。ディズニー社のすばらしい企画力に感服しましたが、いくつか不満がありました。たとえば、「生きたままのペンギン、鳥、蝶が登場する」という点。管理が大変なのと、東京の自然環境に適していませんでした。

最終的にこの会議では、第2テーマパーク案に前向きではあるものの、今の段階では判断できないということで終わりました。

この会議で、高橋社長はアメリカと日本での文化の相違による微妙な感覚の違いを感じていました。この違いを埋めるためには、OLCから社員を派遣し日本の価値観をディズニー社に植え付けなくてはならないと考えていました。

その後、1993年1月にはディズニー社から舞浜地区全体の開発構想を示してきました。しかし、ディズニー社主導の発想であったので、OLCは反発しました。私たちOLC主導で開発したいと。ここで、お互いに溝が出来てしまい1994年2月ディズニー社から一方的に第2テーマパーク作業停止を通告してきました。

ギリギリの交渉により、作業が中断されてしまいました。そして、ようやく作業が開始されたのが1993年7月のことだったのです・・・

もしも、ペンギンとか生き物のいるディズニーシーだったら・・・と考えると怖いものがありますね(^^“)真夏の中、ぐったりしたペンギンなんて見たくないしなぁ。そう考えると「ディズニー・アニマルキングダム」ってすごいですね!あんだけ動物いるんですから。

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2006年6月12日 (月)

こうして「東京ディズニーシー」は誕生した-5

「タワーオブテラー」グランドオープンまで、あと84日!!

昨日に引き続き、本題「東京ディズニーシー」誕生物語をお話しようと思います。お暇でしたら読んでみてください(‐‐) あと、訂正です。今まで「つくる」を「作る」と書いていましたが、この「作る」は「小規模・無形」に対して使う漢字で、正しくは、「新しく・始めて」のときに使う「創る」でした。すんませんでした(ToT)すべての記事を訂正しておきます。

これ以降から、著書「海を超える想像力-東京ディズニーリゾート誕生の物語-」を参考にしてお話します。この本はビジネス本なので、経営学にも触れられていますが、ここではできるだけ触れずに、みなさんに知ってもらいたいことだけ抽出して書いていきます!あと、僕の感想も少々入れます。

ただし、多少現実的な話(会社・金額など)もあるかと思います。以上を承知の上でお読みください~(^^)

オリエンタルランド(略称:OLC)社内では、第2パークは映画スタジオをベースにした「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパーク(仮称)」で進める方向になっていました。

しかし、ディズニー社の提案には大きな問題がありました。予算内ではおさまりきらないほど、創るにはお金がかかりすぎるのです。そこで、OLCはなんとか予算内におさまるように努力しました。しかし、一番肝心な「最高品質のテーマパーク」を創るという点をおろそかにしてしまったのです。本当にいいものを創るためには、いちいちお金を気にしていたら創れませんよね(^^")(でも、実際は考えなくてはいけないんですが・・・・そこが難しいようです)

ディズニー社は、そんなOLCの姿にあきれてしまい、「できないなら、やるべきではない」という流れになっていました。そこに、体調不良で療養生活を送っていた高橋さんが復帰し、この案に対して根本的な見直しをします。

高橋さんが、この案に対して反対したことを簡単にまとめると「アメリカ・フロリダにあるような、いくつかのテーマパークのひとつとして創るのであればいいが、日本・東京で競争相手がたくさんいる中で、何度も足を運びたくなるテ